殺されてくれないりあこという感情

 

 

 

 

 

 

 

先日推しのイベントに行ってきた。

同担の巣窟ってだけで初っぱなから割と吐きそうだったのだが、イベント自体はとても楽しかった。

 

そう、イベント自体はとても楽しかったのだ。

 

なのに終演後の私の中にいるりあこはボロボロで推しの横に立つたびに急速に体が冷えていって、怖くなってチェキを予定より少ない枚数で切り上げてホテルに帰り、気付いたら2時間以上泣き続けていた。

 

 

理由は、沢山ある。

 

 

分かっている。ひとつひとつ噛み砕けば、分かっていることなのだ。

 

演技していない推しを初めて生で見た。

 

そこで改めて、推しは「役者」という仕事をあまりにも愛しすぎていて、本気で人生を懸けているんだという事実がダイレクトに私の本能に流れ込んできた。言葉の節々に彼の覚悟や想いが滲んでいて、それを感じた時、私は何かとてもいけないことをしているような気分になった。ここにいる資格のない人間なんじゃないかって思いが消えなくて、消えてくれなくて、罪悪感でいっぱいになった。りあこという生き物は、推しの言葉に過剰に反応する節がある、少なくとも私はそうなのだが、推しに無意識に牽制されているように感じてしまったのだ。舞台俳優という業界で、ある程度の人気を獲得して、それを続けていこうと思った場合、禁止でないとしても恋愛系のスキャンダルはご法度だし、どこで誰に見られているか分からないという自覚を持っていた方が良いのだが、推しは完璧すぎるくらいにそれを持っていた。正直推しは若手俳優や舞台俳優と括られる方々のなかで、キャリアの割に飛び抜けて人気があるわけではない。要は、地固めが大事なタイプだ。一定数いる自分の「お客さん」を大事にして、そのなかで新規が来たらなるべく通ってもらえるように努力する、それが必要な人だ。多分推しもそれを理解しているんだろう、「役者」をやりたい、続けていきたいという思いを話す推しの言葉の節々や仕草、声の強さ、喋り方の全てに「役者」に人生を懸けているという思いが伝わってきて、言及があったわけではないけど当然そういう女性関係への配慮や見られているという意識の高さがこれまでのSNSでの言動や(何かを特定されそうなことは絶対言わない)過去1度も炎上やカノバレがないという事実と合わさってりあこの私を撃ち殺してきて、私のこの感情は(伝えるつもりもないけど)推しの足を引っ張るだけなのではという思いが消えなくなってしまった(それだけ撃たれて死なないりあこもりあこである)

 

でもそんな「りあこの私」とは裏腹に、「おたくの私」は純粋にイベントを楽しんでいた。おたくの私は楽しい、でも腹の底に隠したりあこの私はしんどい、この二律背反がイベントの間中続いた私は、最終的に心の釣り合いがとれなくなってうまく笑えなくなってしまった。おたくの私は楽しいから素直に笑いたいのだが、もう、なんというか腹の底のりあこが限界だと泣き叫んでいてそれが表に顔を出しそうなのを必死に蓋していたから、多分、本当に目が笑っていなかったと思う。口だけで必死に笑っていた。推しとの距離が近かったから、推しにそんな顔を見せるわけにはいかないと思って、後半はなんか必死に笑おうと頑張っていた気がする。そして異常に疲れて終演後しばらく動けなかった。

 

終演後にはチェキ撮影があった。推しはとても人見知りだから、認知じゃない私だと確実に言葉に詰まることが分かりきっていたので、私が何か話題を用意しなければいけないなと思い、とりあえず次の舞台へ行くことを伝えて、「頑張ってください」と言った。今まで手紙にも「頑張って」なんて書いたことはないけど、なんとなく、もう良いかなと思って、そこまで役者をやりたいのなら気の済むまで、貴方が自分の演技に納得できるまで頑張って、そういう意味で言ったつもりだったのに、推しはそれに心底嬉しそうにした後、私に頭を下げて、「ありがとうございます、精一杯頑張らせて頂きます」って返してきた。少し茶化した喋り方だったけど、その中に隠せない「本気」が混じっているのが分かってしまった。動員数の大切さ、そして動員数の1人となってくれるおたくの大切さをよく分かっていて、正直私なんて病気してて弱いおたくで1公演しか行けない時もあるのに(推しはそんなこと知らないけど)、それでも、推しは私を「おたく」として大事にしようとしていることが、よく分かってしまった。「おたくの私」は心は喜び、「りあこの私」の体は急速に冷えていった。この人の前で少しでもそんなそぶりを見せてはならないと思った。そんな感情を隠していることに気付かれてはいけないと思った。

 

チェキは一応2ループした。本当はもう少し撮る予定だったのだが、りあこの私がとうとう限界を迎えたので、切り上げてホテルに戻ることにした。

 

2ループ目は、素直に今日の感想を伝えた。万が一にも真顔を見られていたらまずいと思い、素直に「今日は楽しかったです」と言った。楽しかったという事実をどうしても伝えておきたかった。すると、推しは「そう言ってもらえるのが一番嬉しい」と返してきた。やはり私は「客」でしかないという事実にまたりあこの私の体が冷えた。そして、2ループ目が終わったあと、とうとうりあこは声を上げて泣き叫び始めてしまった。これを隠してもう一度ループする気にはなれず、引き揚げてホテルに戻った。

ホテルに戻ってから涙が止まらなかった。

りあこという感情への苦しさと、どうあがいてもそれを殺せない情けなさにわんわん泣いた。

でも同時に、やっぱりおたくの私はますます推しに惹かれてしまった。この人に出逢えて良かったと、これからも応援していきたいと、本気で思う私がいたのも事実なのだ。だって推しは私を大事にしようとしてくれたから。目一杯の誠意を伝えてくれたから。

 

だからこれからも、結局何だかんだ言いながら私は私の中のりあこをなんとか操りながら推しのおたくをしていくんだろうと思う。

 

どんなに泣いてもどんなに苦しくても、結局「好き」なことに変わりはないのだ。

 

その日は吐き出しても吐き出しても心につっかえた色々なものは終ぞ出て行ってくれなかったから、全てを酒で誤魔化して寝た。

 

2日目は特に予定もなかったから自分の趣味巡りをしてきた。でも、電車の中や列の待ち時間など、何気ないときにふっと蘇ってくるのは昨日の推しのことばかりだった。電車でスマホをいじるのも忘れるくらいぼーっとしながら、推しのことをぐるぐる考えていた。突き詰めたら哲学的な何かにたどり着きそうだった。

 

そして、帰りの新幹線で泣くのはまずいと思って酒を飲み、意識を飛ばすようにして終点まで眠った。

 

帰ってからはりあこの先輩おたくたちに話をして、アドバイスをもらいながら泣いていた。涙が止まらなかった。

 

りあこなんて正気の沙汰じゃない。ちょっと、いや、だいぶ狂っている。そんなことは分かっている。

 

分かっていてやめられるのならまだ良いのだ。やめられないからタチが悪い。

 

私は推しに散々りあこを撃ち抜かれたのに、結局りあこは死ぬことなくロウソクの灯のようにしつこく確実に私の心をすり減らしている。私のロウソクの残量は分からないが、この先、また新たにいつか見える世界が来ると思って、今はりあこと向き合いながら生きていこうと思っている。おたくの私とりあこの私、どちらもことごとく救えないけれど、それを含めて「私」なのだ。

 

だからせめて、りあこをいつか殺せる日が来るのかなんて分からないけど、「大好き」は変えられないからこれからも「大好き」でいさせてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めておはなしした私の推しは本当にかっこよくて馬鹿みたいにかっこよくてあんまりにも自分の仕事を愛しすぎていて後輩たちに死ぬほど尊敬されててそれがなんででしょう喜ばしいはずなのに涙が止まらなかったのです。所詮ステージと客席です埋まることのない1メートルです分かっているのですそんなことは分かっているのですでもそれでもどうしても、どうしても私は、私の中のりあこを殺せないのです。

 

 

 

救えないですねぇ、本当に。

 

 

 

 

 

 

 

おわり