私の中のおたくという暴論

 

 

 

 

 

 

まず最初に言っておくが、これは暴論だ。

全てにおいて完全に私の価値観からくる暴論である。

 

同じような話をこれまで何度も書いてきたけど、それでもやはり書いてしまう。

私は自分の中の「苛烈な私」を昇華するために文章を書いているからだ。

 

 

いろんなものを否定していろんなものを肯定する、この文章における正義は私の価値観だ。

 

 

つまり私にしか利のない文章なのだ。

 

 

それを念頭に置いて頂き、何が書いてあっても良いという方のみ進んでほしい。

 

 

前置きが長くなった。それでは始めるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はブスが嫌いだ。デブが嫌いだ。親金が嫌いだ。

言い換えるなら見た目に全く気を使わないくせに声がでかくて1人じゃ何にもできないおたくが私は大嫌いだ。

なぜならそんな奴らには人権はあっても性別や年齢などないに等しいと考えているからである。

そしてそういうおたく(特に同厨)に推しにりあこだなんて言われた日にはもう卒倒しそうになる。

 

ご存知の通りおたくの世界には「りあこ」という概念がある。馬鹿にされることも多いが、私はこの概念のことが大好きだ。

例えりあこでなかったとしても、推しや担当に対して全力をかけているおたくが私は大好きである。

 

ちなみにだが私は推しに対してりあこだ。本気で付き合いたいと思っているし、繋がれるのなら繋がりたい。それを実現するための行動を取らないのはひとえに推しに嫌われたくないからである。

 

 

話を元に戻すが、私は本気でおたくをしているおたくたちが大好きだ。女性主軸で話すが、彼女たちがしている努力は生半可なものではないからである。

 

命を燃やして、精神を削って、文字通り「懸けて」いるし、「生きて」いるのだ。

 

それは金策に始まり化粧やダイエット、洋服の選定、時間やチケットの確保など様々であるが、共通しているのは彼女たちは誰かに頼ることなく自らの手でそれらの全てを賄っている点である。

 

当然のことながら、莫大な金がかかる。中には風水を仕事にしている人も多いだろう。

やり方も程度も様々だが、皆一様に本気で、全力で生きていて、駆け抜けている。

 

当たり前だが風水なんてしているとまず見た目が良くなければ稼げるものも稼げない。だから見た目、清潔感に始まり化粧やダイエットをして服装にも手を抜かなくなるし、結果としてそれが推しから自分がどう見られたいか、また自分はどうすれば見た目がより良く見えるのかを考えることにも繋がっていく。そして稼いだお金とお気に入りの洋服を理想通りのスタイルで着こなすことで心身ともに武装して現場に挑むのである。

 

かつてはお水の世界にいた身として、そのしんどさ、辛さ、その中に混じるおたくという強烈な充足感、生きているという実感は死ぬほど理解できるし、何かを本気でやっている人間というのはとにかく自分に厳しく言うこともやることも違うので、それらはとても良い刺激になった。口先だけじゃなく実際に有言実行してみせるというのはおたくでなくても難しいのに、彼女たちは難なくそれをやってのける。私はそういうおたくが大好きだ。

 

 

だからだろうか、言動に行動が全く伴わないおたくが本当に大嫌いだ。

例えばりあこなら、最低限推しに見られて悪感情を抱かれないような見た目でいようとは思わないのだろうか。推しも人間であり、男性である。接触イベントなんかに自分が現れたら推しがどう思うか、まして自分と密着したりするチェキなんて撮りたいと思うだろうか、むしろ一刻も早くこの時間が終わってくれと願うのではないか、そして自分が通い詰めることによってうわ〜また来たよあいつみたいな一種のストレスを抱かせるとは思わないのだろうか、通ってくれているから無下にできない推しの気持ちを推し測ろうとは思わないのだろうか。

 

そしてなにより、鏡で自分を見たときに、自分が男性だったら自分みたいな女と付き合いたいと思うか考えたことがないのだろうか。

もしくは付き合うまで行かなくて良い、自分みたいな女と接触したいと思うだろうかと、一瞬でも頭をよぎることはないのだろうか。

 

 

これは私の持論であり暴論だが、根本的にデブは自分に対してとても甘いのだ。人間の三大欲求のひとつである食欲の暴走を止められていない時点でお察しなのだが、食欲だけならまだしも、この緩みが全てに繋がっていく。私の経験上、継続して勉強できなかったのも会社を当たり前のようにサボっていたのもジムに通っている成果がひとつも表れないのも全てデブだった。それも10人いたら10人全員がデブと認めるデブだった。

顔面は、したいなら止めないが別に元の造形から整形してまでアップデートしろとは思わない。だが、肌が汚いのは話が別だと思っている。化粧という土台にも上がらない話なのだが、化粧の全ての根幹を握るのは肌の綺麗さである。要は、汚いものの上には何を乗せても汚いのだ。土台が汚い場合、化粧で生まれ変わることはまずない。

 

そして恐ろしいことに、このデブと肌の汚さはなぜか共存していることが多いのである。デブ特有の継続性のなさなのかは分からないが、とにかくこのふたつの最悪の組み合わせはなぜか多い。少なくとも私はそう思っている。

 

そしてこのふたつが共存することで起こる最大の欠点が、「清潔感」の無さである。もはやそこに男女は関係ない。一様に皆清潔感がなくなるのだ。

まずデブだというだけで清潔感は通常体型の人間より最低でも50%ほどダウンすると思って良い。第一印象でそれである。加えてそこに肌の汚さとそれによる化粧の小汚さをプラスすると一気に清潔感はゼロになる。さらにここにきちんと手入れされていないことがはっきり分かるほどの髪の毛の汚さを入れるともうスリーアウトバッターチェンジだ。第一印象はゼロどころかマイナスである。清潔感どころか見た目に関して良いところは既にひとつもない。

 

要は第一印象という一番大切な局面で相手に好印象を抱いてもらえることはまずないのである。

かつて人は見た目が99%が話題となったが、私はその通りだと思う。

 

よって、私は「りあこ」だと明言するからには最低限なるほどなと思わせる見た目であって欲しいし、そうあれないのならばりあこだと言わないで欲しいのである。面白いのかほかに表す言葉がないのかは知らないが、りあこという言葉も概念も最近あんまりに軽率に使われすぎていてこちとら本気でりあこでしんどい身としては腹が立って仕方ないのである。お前がりあこだと笑わせるなと本気で思ってしまうし、頼むからりあこという言葉をお前が使うなとも思う。もはや推しだけでなくそもそも人に好かれる見た目ですらないのにりあこなどとどの口が言うのか。もう本当に本当にこれは私の我慢ならない暴論である。

 

 

また、りあこでないにしろ本気でおたくだと声高に言うのなら自分の力で全てを賄ってみせるくらいの気概があってほしいのだ。それができないのならば黙っていてほしいし、頼むからしゃしゃるなとも思う。親金に対する僻みと捉えられそうだが、はっきり言って親金の子と自前の金の子では本気度がまるで違う。自前の子はその仕事が何であろうと自らが死ぬほどしんどい思いをして稼いだお金を湯水のように使っているので、当たり前といえば当たり前である。私は親金の子には命や精神を削るという経験がないと思っている。もしあるとしたらそれは勘違いなので早急に精神状態を見直したほうが良い。金を稼ぐというのは本当に楽ではないのだ。そして親金の子ほどなぜか推しや担当に対してりあこだの彼女がいたら殺すだのと言うことだけは一人前なのである。これがまたやはり地獄を見ていないからなのか、たいへんに薄っぺらく綿毛より軽く聞こえるのである。私は同じ発言をしてもその人の経験によって言葉の重さに差が出ると考えている。そんな薄くて軽い言葉を吐いてる暇があるなら一回で良いから血を吐くまで働いてみろよと思ってしまうのである。僻みか危うい部分だと思う。そう捉えられるならそれでもいい。これは私の暴論なので。

 

 

私は後戻りできない刹那を全力で生きたおたくだ。だから同じようなおたくが大好きである。なぜなら彼女たちは自らの人生の責任を自らでとる覚悟を決め、その上でおたくをしているからである。例えそこに自覚があったとしても、なかったとしても。

夢は永遠には見られないのだ。でも彼女たちにはその夢から覚めたとしても自分でまた歩いていく力がある。

 

 

本気でおたくをやるとは、命を削って燃やすとは、そういうことだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が私の苛烈の限りを尽くした暴論である。

 

 

ここまで読んでくださった方の体調が悪くなっていないことをお祈りしつつ今回はこれまでで。

 

 

 

おわり