私の無理と無茶とそれに関するエトセトラ

 

 

 

 

 

酔っ払いが書いている吐き出し文章なのでただの暗くて胸糞悪い話です。

 

 

閲覧注意。

 

 

何が書いてあっても許せる方のみどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも。お久しぶりの更新になりました。

 

 

なかなか推しの現場に行けてないのでね。いや〜病持ちほんまにあかんっすね。身をもって知ったです。

 

 

 

突然ですが話はタイトルの通りです。

 

 

 

一生でおたくとして無理できる量ってある程度決まってるんじゃないかなってお話です。

 

 

 

私は少なくとも決まってると思ってます。

 

なぜなら今の私は、病気であることを除いても、推しに、かつて担当を応援したほどの熱量をかけられらないからです。

 

もちろん私の成長に伴って失えないものが増えたってのは否定しないんですが、前にも増して私は保険をかけるようになりました。

特に今は、それをひしひし感じています。

 

 

なんというか、担当を本気で応援してた頃の私は、後先なんて全く考えてなくて、とにかく自分が出来うるあらゆる限りのことをして、大学の外にいる自分をそっちに全振りして生きてたんですよね。

 

それって、すっごい「生きてる」ってことが実感できるんですよ。

きっとそれらの全ては大学生活の終わりと同時に終わりを告げる、ひどくひどく刹那な時間だったからなんだなって、今でこそ分かるんですけど。

あの刹那を、私は本気で生きてました。

「刹那の愛でもlike a 永遠」って歌詞が担当のGの曲にるんですが、これは本当にそうで、結局その愛が刹那で終わらなくて未だに痛いくらいに執着してるのが現状なんですが、その刹那だけは、永遠にこのまま自分の全てをかけて担当を応援できるって感じられたんです。

終わりが来るってなんとなく分かっていても、それを本当に理解してるわけじゃないんですよね。

大学卒業して社会人になったらおたくやりにくくなるだろうけどそれでもなんだかんだ今みたいにあれこれやりくりしながら応援してんだろうな、みたいな、そんな気分なんですよ。

 

 

だからでしょうかね、私が貰ったファンサの全てや、握手会での対応、うちわへの対応、その全てを覚えているのは、私がその刹那に懸けて、本気で生きていたからです。

その刹那を得るために、馬鹿みたいに無茶をしていたからです。私が私のまま普通に生きていたら絶対見なかっただろうなという景色を、担当は見せてくれました。良くも悪くも、担当はそれを見させてくれました。それは私の人生の一端に大きな影響を与えて、きっとそれまでの私なら嫌悪していたような人すらも、穿った見方ができるように、変えてくれたのです。

 

それが幸か不幸か、今でも分かりません。

 

とにもかくにも、私は無茶をした先にある世界を覚えてしまいましたから。

 

でも、その世界を知れて良かったと思う自分も居るのです。

 

そしてそんな自分を、今更否定するつもりはありません。

過去は消せないのでね。否定しても仕方ないというのもありますが、担当を本気で好きじゃなければ決して関われなかった人がいたのも事実ですし、そういう人の価値観は、私の価値観や考え方に大きな風穴を開けてくれました。

 

そういう意味で私は本当に感謝してます。今の私を作ってくれた、良くも悪くも私に深く関わってくれたおたくみんなに。

 

みんなと会わなければ、私は自分の限界を知ることはできなかったでしょう。

みんなと会わなければ、私はこんなにおたく同士で切磋琢磨するあのある種おかしな充実感を味わうことはなかったでしょう。

みんなと会わなければ、私は、私はもっと、「ぬるい」おたくだったでしょう。

 

 

私は、おたくという世界には自らはおたくであるというプライドがあると考えています。

おたくって、楽じゃないじゃないですか、本当に。

これを教えてくれたのも担当なんですが。

 

ただ、しんどいのと同時に、普段の生活からは得がたいような強烈な「充足感」を得られるんですよね。

一種のカタルシスというか、間違ってたらあれなんですけど。

 

 

 

でも、ある転換期にふっと、ごく自然に、何も思わずに手を抜いたが最後、だんだんと「無理」が出来なくなるんですよ、その人のために。

 

 

今までの自分にできたはずの無理が、いろんな要因が絡みに絡んで、無理になっていく。

 

それは良い意味では、大人になってるのかもしれません。推しとしても、刹那に無理してそのあとさっぱり来てくれなくなるより、細くても長く応援してくれた方が嬉しいだろうなというのも分かります。

 

でも、先述のように私は、おたくにはおたくのプライドが、まあおたくと一括りにするのはあれなので、とりあえず私にはその人のおたくであるというプライドがあるんですよ。

私は細く長くっていう、良く言えば無理のない、でも悪く言えば中途半端な状態が一番嫌で。

追いかけれるときはしこたま追いかけて、それが無理になったのなら未練を断ち切るためにもスパッとやめてしまいたいと思ってしまう、悲しいかな私はそんなおたくです。

無理をした先にあるあの充実感や生きてるって実感、担当に貢献できているという自負(例えそれらの全てが自己満足だったとしても!)、それに味を占めてしまうともうダメで、どうしてもまたそれを味わいたくなってしまうんです。馬鹿なのは百も承知の上でね。

 

 

だから、個人的に好きな気持ちは変えられないのですが、現場へ通えないのならば、お金を落として活動を応援できないのならば、もうその人のおたくとは言えないなと思っている節があります。

 

おたくって、常に自分がその人のおたくの中でも上位の存在でいたいところがあると私は思っていて。

明確にそれを示せるのがやっぱり現場へ通う回数、要は動員数への貢献だと思っているので。

 

それができなくなったとき、考えちゃうんですよ、私みたいに面倒なおたくは特に、こんな体たらくで推しのおたくだなんて名乗って良いのかと。自分の住んでる地域に来てくれる時だけ現場行くなんて逆に推しを搾取してるんじゃないかとか思ったりするんですよ。

少なくとも私はそう思ってしまうんです。

だから、自分の近隣で開催される公演にしか行けないときは本当にごめんって思ってますし、このごめんって思う気持ちもしんどかったりするんです。全て私の独り善がりですからね。馬鹿みたいで嫌になります。本当に。

 

原作の人気具合とか、地方でやる舞台に出れないのは推しの実力が足りないからだとか、色々あると思うんですけど、やっぱり私みたいな動員に貢献できないおたくの怠慢かなと思うとこもあるんですよ。だって動員が全てなんですから。

東京での舞台や接触イベの動員がもっと伸びれば、推しも地方行けるようになるんじゃないかとか思っちゃうんですよね、私推しは本気で推したいので、接触イベだけ行って推しを消費するとかしたくないんですよ。

 

 

そうなってくるともう辛いんですよね、1回限界を経験したが故にそこまでする体力も気力もない自分がもうほんと嫌になるんですよ、こんなのが推しのおたくなんて名乗って良いのかとか本気で考え出すんです。

めんどくさいですよね。本当にめんどくさい。

そんなこと推しは露ほども考えてないから勝手に楽しくおたくやってろよって感じですよね。いやごもっとも。

私としても消したいんですけどこの感情、恐ろしいことに中々消えてくれないんですよ、いやほんとに、末代まで呪うつもりかってくらい。

 

結局突き詰めると全部自業自得なんですけどね。担当にのめり込んだのも私、無理をしたのも私、無茶をしたのも私、限界を見ることを選んだのも私。そこに後悔は無いんです。

 

でも、同じことをもう一回できるかと聞かれたら、もうできないんです。

短い命を燃やして死んだ蝉みたいに、もう、無理も無茶もできなくなってるんですよ、気付いた時には。

 

でも、可能なら、推しにも私は無理をしたかったんです。あの頃みたいに後先考えずに刹那を走り抜けるように、応援したいんです。その気持ちが消えてくれなくて、それができない自分に心底嫌悪感を覚えるという完全自業自得の自己嫌悪ループです。

 

もういっそのこと笑って済ませたいですね。いや全く笑えないんですけど。

 

 

 

 

もうここまで辿り着いた皆様本当にこんな暗い話を最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

 

 

おわり