担当の望むおたくになれなかった話

 

 

 

 

 

 

何度か既出だとは思うが、私は新卒で入った会社で精神をそれはそれは見事にぶっ壊し現在療養中である。

 

 

これはそんな療養中の中感じたことである。

 

 

 

そもそもとしての前提なのだが、私は担当に精神的に依存されたかったという過去がある。

(詳細は別記事参照)

 

今でこそデビューしてしまい諦めてはいるがその願望は消えたわけではなく、未だに私の心に棲んでいる。

 

 

 

遡ること数年、私が高校3年生になったとき、現担当に出会った。

 

このあたりは以前書いたので詳細は割愛するが、この当時の担当は数いる関西ジャニーズJr.の中でもそこまで人気がある方ではなかった。

 

だからこそ、通える公演は全て通ったし、そこそこ良席にも入った。

安心して欲しかった。

あなたのおたくはここにちゃんといるよって。

直接何か言われた訳でないので完全に自己満足に過ぎなかったが、その想像上の担当の安心感こそ私が求めていた担当からの承認であった。

ここまでは私1人で完結している物語だ。

 

 

やがてその時期が過ぎると、今度は所謂認知をされるよう頑張り始めた。

 

ここから実際に担当からの承認を求めるようになっていく。

最初のうちは団扇の形状もバラバラでファンサ要求団扇も持っていたのだが、一通りファンサをもらい終えてファンサという承認欲求がなくなった辺りから同じ団扇に同じメッセージ団扇(ファンサの要求ではない)で現場に行くようになった。

当時私と同じような応援スタンスのおたくはほぼいなかったため、比較的あっさりうちわ認知に至った。

うちわの形も配色も書いてあるメッセージも同じだが、担当の対応はどんどん親密化していって、それも私が求めていた承認であった。

当時のおたくの数的に1人1人に使ってくれる時間が長かったので、その時は本当に満たされた。

オキニとかオキラとかではなく、担当がキラキラしながら対応してくれることが本当に本当に嬉しかった。私の団扇を見つけてにやっと笑う時、いつものメッセージに嬉しそうに対応してくれるとき、本当に本当に承認欲求が満たされた。

(※私が持っていた所謂メッセージうちわを見つけると担当はいつも何かしら言葉を返してくれたので一応ファンサではなく対応としている)

 

 

たがしかし人の欲というのは際限がない。

 

次に私が求めたのは担当からの信頼だった。

 

具体的にどうするかというと、当時のおたくはなかなか個性的な方が多く、Jr.たちがおたくの近くに行くと強引に触られ引っ張られもみくちゃになったり、苛烈なファンサを要求されたりということがよくあった(特に苛烈なファンサ要求は本当に聞く話聞く話えぐすぎて本人達が気の毒になった)。

きっとあの子達はそれをよく思っていないのだろうなというのは雰囲気で伝わってきたし、実際学級会も時たま開催されていたように思う。だから私はどんなに担当に近い席に入っても担当から手を伸ばしてこない限り自分から触ろうとすることは決してしなかった。

自分は安全だと信じて欲しかったのだ。

 

結果としてそれは所謂桟敷席と呼ばれる席で立証されることになる。

詳細は長くなるので省くが、通称バルコと呼ばれるその席は、松竹座の中でも接触ファンサが望める確率の最も高い席の1つだ。

何席かあるのだが、私はその日その中でも最も良い席に座っていた。そしていつものうちわを見せたのだ。特に接触を要求するでもないただ本人に伝えたいことを書いたいつものメッセージうちわ、私はこれだけを担当に見せた。

すると担当はここでそれを出すのかよと言った具合に大笑いして、私が1番欲しかった言葉をくれたのだ。嬉しかった。死ぬほど嬉しかった。

そして私の座っていた座席は2階席が見渡せる位置にあるため担当は2階席のおたくに構うため私に近寄る必要があるのだが、私はうちわを持ったまま微動だにせず、ずっと担当を見つめていた(ニキビ跡可愛いかった)

すると担当は私は何もしてこないと安心したのか、私にギリギリまで近づいてくれ、2階席のおたくをひたすら構っていた。

 

その瞬間の得もいわれぬ幸福感は未だに忘れられない。信用してくれたことがなにより嬉しかった。担当の信頼を勝ち取ったことが本当に本当に嬉しかった。担当が求めるファンの形であれることが、それを担当が無意識でも行動で示して承認してくれたことが、例えこれらが全て私の思い込みに過ぎないとしても、たまらなく嬉しかったのだ。

 

 

他にもいろいろあるのだがここでは割愛する。そんな形で、担当の理想のおたくだという自負がどんどん私を満たしていった。辛いことも苦しいこともムカつくこともたくさんあったけど、本当に本当に幸せだったのだ。

 

そしてこれは担当のデビューを機に一気に崩れ去ることになる。

 

 

関西ジャニーズJr.という場所はたとえグループを組んでいてもしょっちゅう退所や推されの出現などに伴うメンバー改変が起こるためあまりグループ箱推しのおたくは存在せず、私の周り含め殆どが担当単推しというのが当たり前の世界だった。

要は担当にしか興味がないのだ。

 

かく言う私もそんな担当単推しの1人だ。グループを組んでデビューし数年経った今でさえも。

 

これはグループを愛せない話にも繋がってくるとは思うのだが、私の担当のグループはデビューと同時に一気に路線を変更し、かつんをマイルドにしたようなカッコいい路線から思いっきり中高生世代に受けるようなノリの激しい関ジャニ∞パリピverのような方向へと一気にシフトした。

出すシングルはふざけたようなネーミングのものばかりで、Jr.時代に持ち曲だったカッコいい路線の曲はほぼ封印されてしまった。私はまずその方向性についていけなかった。でもそれでもコンサートには通った。まだ在学中にデビューしていたから、いつか私もこのグループの方向性を好きになれるんじゃないかって、できる限り遠征もしてコンサートに通った。

 

でもダメだった。

 

担当のことは大好きだ。でも、どうしても、どうしても担当の愛するグループを私は愛することができなかった。

 

それを悟ったとき、唐突に、「あ、無理だな」と思った。担当から、グループごと愛して、その中でも俺が好きってそう言ってくれるのが嬉しいとかそんな発言があったわけではないけど、そう思っているのは明白だった。今回は、今回だけは、私は担当の承認を得ることはできない、担当の思う理想のおたくでいることはできない、そう思ってしまったとき、ひどくひどく虚しかった。

とうとう担当の承認を得られない日が来てしまったのかと、ただただ虚しかった。

もう一緒に夢を追うことはできない、担当の背中は押せるけど、担当のグループの背中は押せない。

その軋轢が重く重く私にのしかかって、ただただ虚しかった。自意識過剰だと笑ってくれて構わないのだが、私はそれだけ担当に本気だったのだ。

担当の望むようなおたくでいたかったのだ。今現在茶の間なのもここが影響していないとは言えない。

 

担当の希望に応えたいのに応えることができない自分なんておたくと名乗れるほどの価値もないのだからいっそ死んでしまえばいいのに、そう思ったこともある。

 

担当のことは今でも大好きなのだ、でも担当の望むようなおたくに私はなれなかった。

そしてこんな私に担当も己の担当でいて欲しくないだろうと思うのだ。

 

 

悔しい、苦しい、悲しい、惨め。

 

 

そしてなにより、担当に申し訳なかった。

 

 

ごめんね、ごめんなさい。

 

 

でも私は、担当を本気で応援することで得られる楽しさや苦痛がないと己が生きていると感じられない。

生きているという実感が無い。

 

 

おたくであるお前1人の力なんぞたかが知れている。おたくでいる自分に酔っているんじゃないのか。

そんなことは分かっている。分かった上でこれなのだ。

 

やってみると分かるが、本気で誰かを応援するというのはものすごい葛藤と苦悩という地獄に楽しさという麻酔を打つようなもので、なんでそんなに疲弊してまでおたくするのともよく聞かれる。

 

 

私として答えは2つだ。

 

1つ目は担当に逢いたいし応援したいから。

 

2つ目は、先にも言ったように、担当や推しを推すことで得られる苦痛や楽しさがないと己自身が生きているという実感を感じられないからである。

 

 

だからこれからも懲りずにおたくなんだろう、たとえそれが自分の首を真綿で締める行為だとしてもだ。